神経圧迫が万病の原因、解除は石川県金沢市の旭姿勢矯正院で!

29年の実績。整体カイロプラクティック骨盤矯正O脚矯正耳つぼダイエット、施術中。

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健康保険がなくなると、自分の健康は自分で守るしかなくなる!

どうにもならない状態

ICUの面会は、時間制限が厳しく、何時でも会いたい時に会える訳ではない。

時間が来るまで、廊下の長椅子で待つしかない。

精神的にも、肉体的にも疲れたので、家に帰って休む事にした。

休んでいても、電話が鳴るとドキッとする。

電話の聞こえない所で休めばいいのだが、心配でそれも出来ない。

病院でも休まらない。家でも休まらない。

どうする事も出来ない状態まで、追い込まれてしまった。
2013年05月19日 04:55

生きてる感じがしない

なんとかヤマは越えた。

顔を見に病室に入った。

何ともいえない臭いがした。死臭を嗅いだ経験がないから
何ともいえないが、ひょっとすると、これかなと直感的に思った。

それに、布団が薄いのだ。人が寝ていると、人の厚みがあるはず
なのに、顔だけあって、体の厚みがないのだ。

ペラペラなのだ。

生きてる感じがしないのだ。
2013年05月18日 22:07

驚異の心臓

担当医が「お父さんの心臓は強い。普通、3~4回除細動器をかけると
それで終る人が多いが、お父さんは、もうすでに70回越えている」と言うのだ。

心臓が細動を始めると、心電図のモニターに細かい波画面が映し出され、心拍数が300回を越える。

これは、心臓痙攣している状態を表し、血液が脳へ送られていない事を意味する。

こうなると、医師が走って来て、除細動器で一旦心臓の痙攣を止め、次に、心臓マッサージを始める。

普通は、これを3~4回繰り返すと終るらしいが、父の場合は
こんな事を70回以上繰り返していると言うのだ。

通りで、父の胸は、電気ショックスタンプ跡で酷い事になっていた。
2013年05月17日 22:50

今晩がヤマ

担当医から「今晩がヤマです」と告げられた。

覚悟はしていたが、担当医の口から「ヤマ」の言葉を聞いた時は、頭の中が真っ白になった。

普段、神仏にろくに手を合わせた事もないのに
この時ばかりは、『助けて下さい』と手を合わせて祈った。

さらに、担当医が「ここにある薬、全て使った。もう、使うモノがない」
と言ったものだから、より一層不安がつのった。

ICUの廊下の長椅子で、一睡もせず不安な一夜を過ごした。
2013年05月16日 23:45

気管切開

担当医から「肺に水が溜まって、呼吸困難の状態にある。

気管切開しないと危険だ。同意してくれますか」の申し出があった。

点滴でジャブジャブの状態にしておいて、呼吸困難になったから気管切開に同意しろか。

するしか選択肢はなく、『どうでもしろ』の心境で同意した。

気管切開後は、薬で意識を落とし、死んだも同然の状態。

あと、どれくらい心臓がもつのか?

胸には、電気ショックスタンプ跡が痛々しく残り
あと、いくらも頑張れそうにない状態にまで、追い込まれてしまった。
2013年05月15日 22:36

遺言

父に会いに行くと、珍しく目を覚ましていた。

いつも、暴れないように薬で眠らせているのだが、薬が切れて目が覚めたのだ。

父が何か言いたげな表情で、私を見つめている。喋れないのだ。

手で何か書く真似をしてるようなので、ボールペンと手帳を渡した。

字にならない字で、やっと書いている。

『かあさんたのむ。きょうだいなかよく』 遺言なのだ。

目じりから一筋の涙を流しながら。
2013年05月14日 22:16

覚悟を決めた

ICUには、父の他、あと二人の患者さんがいた。

一人は、70過ぎのおじーちゃんで、もう一人は、川崎病から心筋梗塞になった、男のお子さんだった。

お二人が、どの程度で、ここに連れて来られたのかは知らないが
あまり良い状態でない事は確かだった。

最初に、おじーちゃんが亡くなり、次いでお子さんも亡くなった。

そして、二人とも、病理解剖された。

お子さんのお母さんは「お受けする事にしました」と言っていた。

次は、『うちの番だな』と覚悟を決めた。
2013年05月13日 23:27

後の祭り

ある日、病室に行くと、両手、両足がベッドに縛られていた。

担当医が「暴れるので」との説明。

胸には、電気ショックでできたスタンプの跡が何箇所も。痛々しい。

強心剤興奮剤。これを使えば、暴れて当然。

父が「殺される」と言うのも道理。これじゃ~拷問だ。

『とんでもない所に入れてしまったもんだ』といくら悔いても、後の祭り。
2013年05月12日 23:18

日に日に悪化

DOA状態で入院したのではないので、元気に退院できるものと思い込んでいたが、甘かった。

安定していたのは、しばらくで、日に日に悪化して行った。

入院してから日も浅く、まだ意識のある時に言った言葉は
「ここにいたら殺される、出してくれ」だった。

担当医に、この事を告げると、嫌な顔をして「転院は無理です。
搬送に耐えられない」と答えただけだった。

私には、どうする事もできず。咄嗟に『宜しくお願いします』と言ってしまった事を後悔した。
2013年05月12日 00:17

37日間の地獄の始まり

父は、検査だけと思って行ったようだが、入院させられるはめになってしまった。

病院から呼ばれて飛んで行くと、父が「入院するつもりないんだが・・・」
と言っているのに、半強制的にタンカーに乗せられ、ICUへ向かうところだった。

担当者らしき先生が、私の所へ来て「息子さんですか?お父さんの病気は
心筋梗塞で非常に危険な状態です。

お帰しする訳にはいきません」と言われ咄嗟に出た言葉が「宜しくお願いします」だった。

気が動転して、頭の中が真っ白になり、『宜しくお願いします』が反射的に出てしまった。

今思い返すと、まるで、医療ドラマの1シーンを観ているようだ。

ここから、37日間の地獄が始まった。
2013年05月10日 22:59

体験療法

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